Naobi no mitama 直毘靈
Auteur : Motoori Norinaga 本居宣長 (1730-1801).
Date : 1771.
Source : Kojikiden kōtei 古事記傳 校訂, Tōkyō, Yoshikawa Kobunkan 吉川弘文館, 1934, premier volume, p. 62-80. Volume en ligne.
Édition électronique du 2 février 2025. Une relecture.
直毘靈
(此篇は、道といふことの論ひなり、)
皇大御國は、掛まくも可畏き神御祖天照大御神の、御生坐る大御國にして、
萬國に勝れたる所由は、先ここにいちじるし、國といふ國に、此大御神の大御德かがふらぬ國なし、
大御神、大御手に天つ璽を捧持して、
御代御代に御しるしと傳はり來つる、三種の神寶は是ぞ、
萬千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ國なりと、ことよさし賜へりしまにまに、
天津日嗣高御座の、天地の共動かぬことは、既くここに定まりつ、
天雲のむかぶすかぎり、谷蟆のさわたるきはみ、皇御孫命の大御食國とさだまりて、天下にはあらぶる神もなく、まつろはぬ人もなく、
いく萬代を經とも、誰しの奴か、大皇に背き奉む、あなかしこ、御代御代の間に、たまたまも不伏惡穢奴もあれば、神代の古事のまにまに、大御稜威をかがやかして、たちまちにうち滅し給ふ物ぞ、
千萬御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして、
御世御世の天皇は、すなわち天照大御神の御子になも大坐ます。故天つ神の御子とも、日の御子ともまをせり、
天つ神の御子を大御心として、
何わざも、己命の御心もてさかしだち賜はずて、ただ神代の古事のままに、おこなひたまひ治め賜ひて、疑ひおもほす事しあるをりは、御卜事もて、天神の御心を問して物し給ふ、
神代も今もへだてなく、
ただ天津日嗣の然ましますのみならず、臣連八十伴緒にいたるまで、氏かばねを重みして、子孫の八十續、その家家の職業をうけつがひつつ、祖神たちに異ならず、只一世の如くにして、神代のままに奉仕れり、
神ながら安國と、平けく所知看しける大御國になもありければ、
書記の難波長柄朝廷御卷に、惟神者、謂隨神道亦自有神道也とあるを、よく思ふべし、神の道に隨ふとは、天下治め賜ふ御しわざは、ただ神代より有こしまにまに物し賜ひて、いささかもさかしらを加へ給ふことなきをいふ、さてしか神代のまにまに、大らかに所知看せば、おのづから神の道はたらひて、他にもとむべきことなきを、自有神道とはいふなりけり、かれ現御神と大八洲國しろしめすと申すも、其の御世御世の天皇の御政、やがて神の御政なる意なり、萬葉集の歌などに、神隨云云とあるも、同じこころぞ、神國と韓人の申せりしも、諾にぞ有りける、
古の大御世には、道といふ言擧もさらになかりき、
故古語に、あしはらの水穗の國は、神ながら言擧せぬ國といへり、
其はただ物にゆく道こそ有りけれ、
美知とは、此記に味御路と書る如く、山路野路などの路に、御てふ言を添たるにて、ただ物にゆく路ぞ、これをおきては、上代に、道といふものはなかりしぞかし、
物のことわりあるべきすべ、萬の敎へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異國のさだなり、
異國は、天照大御神の御國にあらざるが故に、定まれる主なくして、狹蠅なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし取つれば、賤しき奴も、たちまちに君ともなれば、上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかがひて、うばばむとはかりて、かたみに仇みつつ、古より國治まりがたくなも有ける、其が中に、威力あり智り深くて、人をなつけ、人の國を奪ひ取て、又人にうばばるまじき事量をよくして、しばし國をよく治めて、後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云なる、たとへば、亂れたる世には、戰にならふゆゑに、おのづから名將おほくいでくるが如く、國の風俗あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世世にそのすべをさまざま思ひめぐらし、爲むならひたるゆゑに、しかかしこき人どももいできつるなりけり、然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからに奇しき德あるものと思ふは、ひがことなり、さて其聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、かかれば、漢國にして道といふ物も、其旨をきはむれば、ただ人の國をうばばむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二にはすぎずなもある、そもそも人の國を奪ひ取むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、善ことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善人めきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ己からその道に背きて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず、いともいとも惡き人なりけり、もとよりしか穢惡き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことには一人も守りつとむる人なければ、國のたすけとなることもなく、其名のみひろごりて、つひに世に行はるることなくて、聖人の道は、ただいたづらに、人をそしる世世の儒者どもの、さへづりぐさとぞなれりける、然るに儒者の、ただ六經などいふ書をのみとらへて、彼國をしも、道正しき國ぞと、いひののしるは、いたくたがへることなり、かく道といふことを作りて正すはもと道の正しからぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ、そも後人、此道のままに行なはばこそあらめ、さる人は、よよに一人だに有がたきことは、かの國の世世の史どもを見てもしるき物をや、さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふこちたき名どもを、くさぐさ作り設て、人をきびしく教へおもむけむとぞすなる、さるは後世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや、また易などいふ物をさへ作りて、いともこころふかげにいひなして、天地の理をきはめつくしたりと思ふよ、これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ、そもそも天地のことわりはしも、すべて神の御所爲にして、いともいとも妙に奇しく、靈しき物にしあれば、さらに人のかぎりある智りもては、測りがたきはざなるを、いかでかよくきわめつくして知ることのあらむ、然るに聖人のいへる言をば、何ごともただ理の至極と、信たふとみをるこそいと愚なれ、かくてその聖人どものしわざにならひて、後後の人どもも、よろづのことを己がさとりもておしはかりごとするぞ、彼國のくせなる、大御國の物學びせむ人、是をよく心得をりて、ゆめから人の説になまどはされそ、すべて彼國は、事毎にあまりこまかに心を着て、かにかくに論ひさだむる故になべて人の心さかしだち惡くなりて、中中に事をしこらかしつつ、いよよ國は治まりがたくのみなりゆくめり、されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國を亂すたねともなる物ぞ、すべて何わざも、大らかにして事足ぬることは、さてあるこそよけれ、故皇國の古は、さる言痛さ教も何もなかりしかど、下が下までみだるることなく、天下は穩に治まりて、天津日嗣いや遠長に傳はり來坐り、さればかの異國の名にならひていはば、是ぞ上もなき優たる大き道にして、實は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり、そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、言擧せずとは、あだし國のごと、こちたく言たつることなきを云なり、譬ば才も何も、すぐれたる人はいひたてぬを、なまなまのわろものぞ、返りていささかの事をも、ことごとしく言あげつつほこるめる如く、漢國などは、道ともしきゆゑに、かへりて道道しきことをのみ云あへるなり、儒者はここをえしらで、皇國をしも、道なしとかろしむるよ、儒者のえしらぬは、萬に漢を尊き物に思へる心は、なほさも有なむを、此方の物知人さへに、是をえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、强てここにも道ありと、あらぬことどもをいひつつ爭ふは、たとへば、猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の耻て、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求出て見せて、あらそふが如し、毛は無きが貴きをもしらぬ、癡人のしわざにあらずや、
然るをやや降りて、書籍といふ物渡來來て、其を學びよむ事始まりて後、其國のてぶりをならひて、やや萬のうへにまじへ用ひらるる御代になりてぞ、大御國の古の大御てぶりをば、取別て神道とはなづけられたりける、そはかの外國の道道にまがふがゆゑに、神といひ、又かの名を借りて、ここにも道とはいふなりけり、
神の道としもいふ所由は、下につばらかにとく
しかありて御代御代を經るままに、いやますますに、その漢國のてぶりをしたひまねぶこと、盛になりもてゆきつつ、つひに天の下所知看す大御政ももはら漢樣に爲はてて、
難波の長柄宮、淡海の大津宮のほどに至りて、天の下の御制度も、みな漢になりき、かくて後は、古の御てぶりは、ただ神事にのみ用ひ賜へり、故後代までも、神事にのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし、
青人草の心までぞ、其意にうつりにける、
天皇尊の大御心を心とせずして、己己がさかしらごころを心とするは、漢意の移れるなり、
さてこそ安けく平けく有來し御國の、みだりがはしきこといできつつ、異國にやや似たることも、後にはまじりきにけれ、
いともめでたき大御國の道をおきながら、他國のさかしく言痛き意行を、よきこととして、ならひまねべるから、直く清かりし心も行ひも、みな穢惡くまがりゆきて、後つひには、かの他國のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし、さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の蔽なることを、えさとらぬなり、古の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ
そもそも此天地のあひだに、有とある事は、悉皆に神の御心なる中に
凡て此世中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、吉凶き萬事、みなことごとに神の御所爲なり、さて神には、善もあり惡きも有て、所行もそれにしたがふなれば、大かた尋常のことわりを以ては、測りがたきわざなりかし、然るを世人、かしこきもおろかなるもおしなべて、外國の道道の説にのみ惑ひはてて、此意をえしらず、皇國の學門する人などは、古書を見て、必知べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知ざるは、いかにぞや、抑吉凶き萬の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、漢の道道には天命といひて、天のなすわざと思へり、これらみなひがことなり、そが中に佛道説は、多く世の學者の、よく辨へつることなれば、今いはず、漢國の天命の説は、かしこき人もみな惑ひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これを論ひさとさむ、抑天命といふことは、彼國にて古に、君を滅し國を奪ひし聖人の、己が罪をのがれむために、かまへ出たる託言なり、まことには、天地は心ある物にあらざれば、命あるべくもあらず、もしまことに天に心あり、理もありて、善人に國を與へて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必又聖人は出ぬべきを、さもあらざりしはいかにぞ、もし周公孔子にして、既に道は備れる故に、其後は聖人を出さずといはむも、又心得ず、かの孔丘が後、其道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそ、さもいはめ。其後しもいよよ其道はすたれはてて、徒言となり、國もますますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人をも出さず、國の厄をもかへりみず、つひに秦始皇がごと荒ぶる人にしも與へて、人草を苦しめしは、いかなる天のひがこころぞ、いといといぶかし、始皇などは、天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひ枉べけれど、そも暫にても、さる惡人にあたふべき理あらめやも、又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる諸人のうへにも、善惡きしるしを見せて、善人はながく福え、惡人は速けく禍るべき理なるを、さはあらずて、よき人も凶く、あしき人も吉きたぐひ、昔も今も多かるはいかに、もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや、さて後世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世人の諾なはねば、うはべは禪らせて取こともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの古の聖人どもも、實は是に異ならぬ物をや、後世の王の天命ぞといふをば、信ぬものの、古人の天命をば、まことと心得をるは、いかなるまどひぞも、古は天命ありて、後にはなきこそをかしけれ、或人、舜は堯が國をうばひ、禹も又舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有べきことぞ、後世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりを受て嗣つれども、實は簒へるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上代は朴にして、禪れりと云なせるを、まことと心得て、國内の人ども、みなあざむかれにけらし、かの莽操がころは、世人さかしくて、あざむかれざりし故に、惡きしわざのあらはれけむ、かれらが如くなる輩も、上代ならましかば、あはれ聖人と仰がれなましものを、
禍津日神の御心のあらびはしも、せむすべなく、いとも悲しきわざにぞありける、
世間に、物あしくそこなひなど、凡て何事も、正しき理のままにはえあらずて、邪なることも多かるは、皆此神の御心にして、甚く荒び坐時は、天照大御神高木大神の大御力にも、制みかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし、かの善人も禍り、惡人も福ゆるたぐひ、尋常の理にさかへる事の多かるも、皆此神の所爲なるを、外國には、神代の正しき傳説なくして、此所由をえしらざるが故に、ただ天命の説を立て、何事もみな、當然理を以て定めむとするこそ、いとをこなれ、
然れども、天照大御神高天原に大坐坐て、大御光はいささかも曇りまさず、此世を御照しましまし、天津御璽はた、はふれまさず傳はり坐て、事依し賜ひしまにまに、天の下は御孫命の所知食て、
異國は、本より主の定まれるがなければ、ただ人もたちまち王になり、王もたちまちただ人にもなり、亡びうせもする、古よりの風俗なり、さて國を取むと謀りて、えとらざる者をば、賊といひて賤しめにくみ、取得たる者をば、聖人といひて尊み仰ぐめり、さればいはゆる聖人も、ただ賊の爲とげたる者にぞ有ける掛まくも可畏きや吾天皇尊はしも、然るいやしき國國の王どもと、等なみには坐まさず、此御國を生成たまへりし神祖命の、御みづから授賜へる皇統にましまして、天地の始より、大御食國と定まりたる天下にして、大御神の大命にも、天皇惡く坐まさば、莫まつろひそとは詔たまはずあれば、善く坐むも惡く坐むも、側よりうかがひはかり奉ることあたはず、天地のあるきはみ、月日の照す限は、いく萬代を經ても、動き坐ぬ大君に坐り、故古記にも、當代の天皇をしも、神と申して、實に神にし坐ませば、善惡き御うへの論ひをすてて、ひたぶるに畏み敬ひ奉仕ぞ、まことの道には有ける、然るを中ごろの世のみだれに、此道に背きて、畏くも大朝廷に射向ひて、天皇尊をなやまし奉れりし、北條義時奉時、又足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭をもおもひはからざる、穢惡き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世人のなびき從ひて、子孫の末まで、しばらく榮え居しことよ、抑此世を御照し坐ます天津日神をば、必たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必畏こみ奉るべきことをば、しらぬ奴もよにありけるは、漢藉意にまどひて、彼國のみだりなる風俗を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日神、即天照大御神にましますことを信ず、今の天皇、すなわち天照大御神の御子に坐ますことを忘れたるにこそ、
天津日嗣の高御座は、
天皇の御統を日嗣と申すは、日神の御心を御心として、其御業を嗣坐が故なり、又その御座を高御座と申すは、唯に高き由のみにあらず、日神の御座なるが故なり、日には、高照とも高日とも日高とも申す古語のあるを思へ、さて日神の御座を、次次に受傳へ坐て、其御座に大坐ます天皇命にませば、日神に等く坐こと決し、かかれば、天津日神のおほみうつくしみを蒙らむ者は、誰しか天皇命には、可畏み敬び尊みて、奉仕らざらむ、
あめつちのむた、ときはにかきはに動く世なきぞ、此道の靈く奇く異國の萬の道にすぐれて、正しき高き貴き徴なりける、
漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世世にますます亂れみだりて、終には傍の國人に、國はことごとくうばはれはてぬ、其は夷狄といひて卑めつつ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、仰ぎ居るなるは、いともいともあさましきありさまならずや、かくても儒者はなほよき國とやおもふらむ、王のみならず、おほかた貴きいやしき統さだまらず、周といひし代までは、封建の制とかいひて、此別ありしがごとくなれど、それも王の統かはれば、下までも共にかはりつれば、まことは別なし、秦よりこなたは、いよよ此道たたず、みだりにして、賤き奴の女も、君の寵のまにまに、忽に后の位にのぼり、王の女をも、すぢなき男にあはせて、耻ともおもへらず、又昨日まで山賊なりし者も、今日はにはかに、國の政とる高官にもにもなり登るたぐひ、凡て貴賤き品さだまらず、鳥獸のありさまに異ならずなもありける、
そも此道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、
是をよく辨別て、かの漢國の老莊などが見と、ひとつにな思ひまがへそ、
人の作れる道にもあらず、此道はしも、可畏きや高御産巣日神の御靈によりて、
世中にあらゆる事も物も、皆悉に此大神のみたまより成れり、
神祖伊邪那岐大神伊邪那美大神の始めたひて、
よのなかにあらゆる事も物も、此二柱大神よりはじまれり、
天照大御神の受たまひたもちたまひ、傳へ賜ふ道なり、故是以神の道とは申すぞかし、
神道と申す名は、書紀の石村池邊宮の御卷に、始めて見えたり、されど其は只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり、さて難波長柄宮の御卷に、惟神者謂隨神道亦自有神道也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始めなりける、さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其道といひて、ことなる行ひのあるにあらず、さればただ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一むねにあたれり、然るを、からぶみに、聖人設神道、といふ言あるを取て、此方にも名づけたりなどいふめるは、ことのこころしらぬみだり言なり、其故は、まづ神とさすもの、此と彼と始めより同じからず、かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、不測く靈きをさしていふめれば、ただ空き理のみにしてたとかに其物あるにあらず、さて皇國の神は、今の現に御字天皇の皇祖に坐て、さらにかの空き理をいふ類にはあらず、さればかの漢籍なる神道は、不測くあやしき道といふこころ、皇國の神道は、皇祖神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたく異なるをや、
さて其道の意は、此記をはじめ、もろもろの古書どもをよく味ひみれば、今もいとよくしらるるを、世世のものしりびとどもの心も、みな禍津日神にまじこりて、ただからぶみにのみ惑ひて、思ひとおもひい、ひといふことは、みな佛と漢との意にして、まことの道のこころをば、えさとらずなもある、
古は道といふ言擧なかりし故に、古書どもに、つゆばかりも道道しき意も語も見えず、故舍人親王を始め奉て、世世の識世ども、道の意をえとらへす、ただかの道道しきことこちたく云る、から書の説のみ、心の底にしみ着て、其を天地のおのづからなる理と思居る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方へのみ流れゆくめり、されば異國の道を道の羽翼となるべき物と思ふも、即其心のかしこへ奪はれつるなりけり、大かた漢國の説は、かの陰陽乾坤などをはじめ諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわり深げにきこゆめれども、彼が垣内を離れて、外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中中には淺はかなることどもなりかし、されど昔も今も世人の、此垣内に迷入て、得出離れぬこそくちをしけれ、大御國の説は、神代より傳へ來しままにして、いささかも人のさかしらを加へざる故に、うはべはただ淺淺と聞ゆれども、實にはそこひもなく、人の智の得測度ぬ、深き妙なる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書の垣内にまよひ居る故なり、此をいではなれざらむほどは、たとひ百年千年の力をつくして、物學ぶとも、道のためには、何の益もなきいたづらわざならむかし、但し古書は、みな漢文にうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知てあるべく、文字のことなどしらむためには、漢籍をも、いとまあらば學びつへし、皇國魂の定まりて、ただよはぬうへにては、害はなきものぞ、
故おのが身身に受行ふべき神道の教などいひて、くさぐさものすなるも、みなかの道道のをしへこどをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり、
ことごとしく祕説など云て、人えりして密に傳ふる類など、皆後世に僞造れることぞ、凡てよきことはいかにもにも世に廣まるこそよけれ、ひめかくして、あまねく人に知せず、己が私物にせむとするは、いとこころぎたなきわざなりかし、
あなかしこ、天皇の天下しろしめす道を、下が下として、己がわたくしの物とせむことよ、
下なる者は、かにもかくにもただ上の御おもむけに從ひ居るこそ、道にはかなへれ、たとへ神の道の行ひの、別にあらむにても、其を教へ學びて、別に行ひたらむは、上にしたがはぬ私事ならずや、
人はみな、産巣日神の御靈によりて、生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おのづから知りてよく爲る物にしあれば、
世中に生としいける物、鳥虫に至るまでも、己が身のほどほどに、必あるべきかぎりのわざは、産巣日神のみたまに頼て、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しか勝れたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其上をなほ强ることのあらむ、教によらずては、えしらずえせぬものとはいはば、人は鳥虫におとれりやせむ、いはゆる仁義禮讓孝悌忠信のたぐひ、皆人の必あるべきわざなれば、あるべき限は、教をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必有べきかぎりを過て、なほきびしく教へたてむとせる强事なれば、まことの道にはかなはず、故口には人みなことごとしく言ながら、まことに然行ふ人は、世世にいと有がたきを、天理のままなる道と思ふは、いたくたがへり、又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こころえず、そもそもその人慾といふ物はいづくよりいかなる故にていできつるぞ、それも然るべき理にてこそは、出來たるべければ、人慾も即天理ならずや、又百世を經ても、同姓どち婚することゆるさずといふ制など、かの國にしても、上代より然るにはあらず、周の代のさだめなり、かくきびしく定めたる故は、國の俗あしくして、親子同母兄弟などの間にも、みだりなる事のみ常多くて、別なく治まりがたかりし故なれば、かかる制のきびしきは、かへりて國の耻なるをや、すべて何の上にも、法の嚴きは、犯すものもの多きがゆゑぞかし、さて其制は制と立しかども、まことの道にあらず、人の情にかなはぬことなる故に、したがふ人いといとまれなり、後後はさらにもいはず、はやく周の代のほどにすら、諸侯といふきはの者も、これを破れるが多ければ、ましてつぎつぎはしられたり、姉妹などにさへ奸けし例もある物をや然るを儒者どもの、昔よりかく世人の守りあへぬことをば忘れて、いたづらなるさだめのみをとらへて、たけきことにいひ思ひ、又皇國をしひて賤しめむとして、ともすれば、古兄弟まぐはひせしことをいひ出て、鳥獸のふるまひぞとそしるを、此方の物知人たちも、是をばこころよからず、御國のあかぬことに思ひて、かにかくにいひまぎらはしつつ、いまださだかに斷り説ることもなきは、かの聖人のさかしらを、かならず當然理と思ひなづみて、なほ彼にへつらふ心あるがゆゑなり、もしへつらふこころしなくば、彼と同じからぬは、なにごとかあらむ、抑皇國の古は、ただ同母兄弟をのみ嫌ひて、異母の兄弟など御合坐しことは、天皇を始め奉て、おほかたのよのつねにして、今京になりてのこなたまでも、すべて忌ことなかりき、但し貴き賤きへだては、うるはしく有て、おのづからみだりならざりけり、これぞこの神祖の定め賜へる、正しき眞の道なりける、然るを後世には、かのから國のさだめを、いささかばかり守るげにて、異母なるをも兄弟と云て、婚せぬことになも定まりぬる、されば今世にして、其を犯さむこさ惡からめ、古は古の定まりにしあれば、異國の制を規として、論ふべきことにあらず
いにしへの大御代には、しもがしもまで、ただ天皇の大御心を心として、
天皇の所思看御心のまにまに奉任て、己が私心はつゆなかりき、
ひたぶるに大命をかしこみゐやひまつろひて、おほみうつくしみの御蔭にかくろひて、おのもおのも祖神を齋祭つつ、
天皇の、大御皇祖神の御前を拜祭坐がごとく、臣聯連八十伴緒、天下の百姓に至るまで、各祖神を祭るは常にて、又天皇の、朝廷のため天下のために天神國神諸をも祭坐が如く、下なる人どもも、事にふれては、福を求むと、善神にこひねぎ、禍をのがれむと、惡神をも和め祭り、又たまたまに罪穢もあれば、祓清むるなど、みな人の情にして、かならず有べきわざなり、然るを、心だにまことの道にかなひなば、など云めるすぢは、佛の教へ儒の見にこそ、さることもあらめ、神の道には、甚くそむけり、又異國には、神を祭るにも、ただ理を先にして、さまざま議論あり、淫祀など云て、いましむることもある、みなさかしらなり、凡て神は、佛などいふなる物の趣とは異にして、善神のみにはあらず、惡きも有て、心も所行も、然ある物なれば、惡きわざする人も福え、善事する人も、禍ることある、よのつねなり、されば神は、理の富不をもて、思ひはかるべきものにあらず、ただその御怒を畏みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり、されば祭るにも、そのこころばへ有て、いかにも其神の歡喜び坐べきわざをなも爲べき、そはまづ萬を齊忌清まはりて、穢惡あらせず、堪たる限美好物多に獻り、或は琴ひき笛ふき歌儛ひなど、おもしろきわざをして祭る、これみな神代の例にして、古の道なり、然るをただ心の至り至らぬをのみいひて、獻る物にもなすわざにもかかはらぬは、漢意のひがことなり、さて又神を祭るには、何わざよりも先火を重く忌清むべきこと、神代書の黄泉段を見て知べし、是は神事のみにもあらず、大かた常にもつつしむべく、かならずみだりにすまじきわざなり、もし火穢るるときは、禍津日神ところをえて、荒び坐ゆゑに、世中に萬の禍事はおこるぞかし、かかれば世のため民のためにもなべて天下に、火の穢は忌まほしきわざなり、今の代には唯神事のをり、又神の坐地などにこそ、かつがつも此忌は物すめれ、なべては然る事さらになきは、火の穢れなどいふをば、愚なることとおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれるなり、かくて神御典を釋誨ゆる世世の識者たちすら、ただ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の説をしも、なほざりにすめるは、いかにぞや
ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穩しく樂く世をわたらふほかなかりしかば、
かくあるほかに、何の教ごとをかもまたむ、抑みどり兒に物教へ、又諸匠の物造るすべ、其外よろづの伎藝などを教ふることは、上代にも有けむを、かの儒佛などの教事も、いひもてゆけば、これらと異なることなきに似たれども、よく辨ふれば、同じからざることぞかし、
今はた其道といひて、別に教を受て、おこなふべきわざはありなむや、
然らば神の道は、からくにの老莊が意にひとしかきかと、或人の疑ひ問へるに、答けらく、かの莊老がともは儒者のさかしらをうるさみて、自然なるをたふとめば、おのづから似たることもあり、されどかれらも、大御神の御國ならぬ、惡國に生れて、ただ代代の聖人の説をのみ聞なれたるものなれば、自然なりと思ふも、なほ聖人の意のおづからなるにこそあれ、よろづの事は、神の御心より出て、その御所爲なることをしも、えしらねば、大旨の甚くたがへる物をや、
もししひて求むとならば、きたなきからぶみごごろを祓ひきよめて、清清しき御國ごごろもて、古典どもをよく學びてよ、然せば、受行べき道なきことは、おのづから知てむ、其をしるぞ、すなはち神の道をうけおこなふにはありける、かかれば如此まで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ、見つつ默止えあらず、神直毘神大直毘神の御靈たばりて、このまがをもて直さむとぞよ、
上の件、すべて己が私のこころもていふにあらず、ことごとに古典に、よるところあることにしあれば、よく見む人は疑はじ、
かくいふは、明和の八年といふとしの、かみな月の九日の日、伊勢國飯高郡の御民、平阿曾美宣長、かしこみかしこみもしるす、